マルカタへ The Sailors on the Great Sand Sea 5日目

خامس يوم
بعد الفطار حلوة
هم هيزوروا ماركاتا و هيشوفوا كوم ال سمك
كان في ارض كلها جناين جميلة و قصر كبير من ٣٤٠٠ سنة
مفيش حاجة دلوقتي
مشيوا كتيييير
بعدين رجعوا القاهرة بالطيارة

5日目
皆もう食べ終わったのだろうか?と思いながら朝食に向かう。
ルクソールのナイル西岸という現実感を失わせるようなホテルだ。
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Kさんはプールサイドで気持ちよさそうに読書に耽っていた。
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ハンドメイドのいびつで気泡の入ったグラスに、フレッシュジュースが注がれ、果物、香りのよい紅茶、バスケットには各種のパン。シンプルだが贅沢な朝食。

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そのパンをついばみに来る小鳥たち。その数多しで、テーブルの上は無法地帯になってしまった。

おっとりと朝食を取りにやってきたドクトーラ夫妻と話しているながれでマルカタに行こうということになった。

マルカタまでは片道約3キロ。往復6キロ。朝の「軽い」散歩ではなさそうだ。
ホテルを出ると、ドクトーラはありとあらゆる風景をカメラにおさめていく。皆とドクトーラの距離は次第に広がってゆくが、先を行くトシオさんは時折振り返り、ドクトーラの位置を確認、優しく見守るのであった。
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そろそろ3キロは歩いたろうという頃、太陽が肌をつねりだしてきた。
緑の畑を埋め尽くすのは トリフォリウム・アレクサンドリナム 家畜のえさだ。
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奥の三角屋根の建物は、イスラームの聖人廟か?手前は収穫されたゴマの束
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砂漠と耕作地の際に立つ小神殿をランドマークとして進んでいるのだが、一向にマルカタらしき場所に出ない。
Kさんが「あれは?」と指をさす。左側ばかり気にしていたら、右側から現れた小神殿。
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一昨年もこの辺りまで自転車で来たのだが、「あの塀に囲まれていたのは何かな?」と気になっていた場所だった。どうやら「コム・エルサマック」の彩色階段のようだ。
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ここは1971年から早稲田隊が発掘した場所で、アメンヘテプ3世の儀式用のキオスクが見つかったのだった。
階段には異民族の兵が交互に彩色されて描かれていたなど、大発見だったが、地元民らとの確執で破壊されてしまったという、残念な結果を残した場所でもある。以降、早稲田隊はこの経験を教訓に次々に発掘の成果をあげている。。。そうだ。
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日乾レンガを積み上げた塀の中へ潜入すると。
「タ・ナ・カ さ~ん」
細々とした声が遠くから聞こえた。塀から頭を出すと、ドクトーラが犬がいて入れないという。
再び荒らされてなるものかと、よそ者を寄せ付けぬよう野犬が防衛にあたっていたのだった。
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彩色階段の「彩色」は失われてしまったが日乾レンガの階段遺構はよくわかる。というか、古代のレンガも現代のレンガもそう大して変わりはしない。
イシス神殿を見て、ホテルへと引き返す。
道と距離感が分かったせいか、帰りは行よりもずっと早く感じる・・・が、全員の口数は少なかった。そもそも朝の散歩にしてはキツ過ぎた。
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ルクソール空港からは今話題のリージョナル・ジェット、エンブラエル社製のエジプトエア・エキスプレスでカイロに向かう。
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本日の締めくくりにドクトーラがおっしゃった。「今日は歩き足りなかったわね。」
一同、顔を見合わせた。

ルクソール、エル・クルン登山 The Sailors on the Great Sand Sea 4日目

 رابع يوم
هم روحوا وادي الملوك مع حمادة
حمادة،هو مرشد
بعد شاف الملوك مع حمادة، كين كان عنده فكر واحد تاني
!هو عايزه هيطلع فوق الجبل ال قرن
،كين و حمادة  ماشيين لالجبل ،بعيد من هنا، مفيش شارع و مفيش ناس
 في بس الحجارة و سماء
"و الحكاية عن فندق جميل "فندق المديرة


4日目
今日はルクソール西岸へ。ホテルも変わる。チェックアウト時になにやらもめているKさんを見ていたら、本日のガイド、ハマダ氏がやってきた。実はハマダはまだ知らないが、西岸で我々一行は分岐して、ほとんど自分専用のガイドとしてついてきてもらい、ある場所に行こうとしていたのだった。前もって告げると逃げられてしまうかもしれないので、ともかく脚力に自信のあるとの情報でKさんが彼に決定したのだった。
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まずは西岸の王家の谷へ。日本の資金援助により建設が行われていたヴィジターセンターは完成していた。それ以前にあった(すぐ近くにあった)ヴィジターセンターも日本の援助で建てられたということだったが、さして時間もたたないうちに古くもない建物を壊し、新しいヴィジターセンターを建てさせるなんて、なんて日本はお金があるんだろうね。
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よその国まで来てスクラップ&ビルドをやるなんて、気前が良くてなんて親切なんだろうね。
ミニトレインに乗り王墓に近づいていく。
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ハマダはイウヤとチュウヤの墓の前を通り、細々と発掘している外国隊を横目に、断崖の麓で説明を始めた。
どうやら彼の持ちネタらしく、ドクトーラをイシス女神に見立て、我々をキャストにしてオシリス神話の再現を語り始めた。「オシリスの肉体は弟のセト神によってバラバラに刻まれ、各地へと散らばった・・・・」王家の谷を舞台にした壮大な神話劇は、コントにしか見えず、あっさりと幕が下りたのであった。

その延長線上で、近場のKV19、ラメセス9世の息子、メンチュヘルケプシェフの墓に入った。第一通路のみで放棄された小さな墓だが、丁寧なレリーフで美しく仕上げられている。
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続いてラメセス1世の墓に入った。ホルエムヘブの後継者であり、第19王朝の創始者であるにも関わらず、治世が短かったため、通路と未完の部屋、玄室のみの小規模なものとなっている。壁画は、アマルナの改革から間もないというのに、美術様式の影響が全く見られない。それほど墓としては有名ではないのに、入り口から長い行列が飛び出し、背中を押されながら内部に入ってゆく。高温多湿の空気がむわっと押し寄せ、次に悪臭。これは、とてもよくない。人間にではなく、墓にだ。挙句に取ってはいけないと言われても写真を撮る一団が墓守と大声でもめている。入場制限をするなり、空調設備をなんとかするなり、何らかの対応をしてほしいものだ。

王家の谷、銀座通りに戻ると先ほどの発掘隊とは比べ物にならないほど、大規模な発掘が行われていた。指揮をしているのはあの「天才」「カリスマ」考古学者に違いない。作業が始まってまだ日も浅いようだが、ネフェルトイティが眠っているという噂だ。確かに周囲にはKV55やツタンカーメン王墓など、アマルナに関連する墓が密集している。新しい墓の発見に期待する。
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ツタンカーメン王の墓では少年王のミイラが公開中である。会ってくれるというのだから行かない理由はない。前室に横たわるツタンカーメンは、なんてか弱いのだろう。想像していたよりもずっと小さくか細い。物静かな王だったのだろう。今もそうだからね。

さあ、これからがハマダの仕事だ。エル・クルン経由、王妃の谷までのトレッキングだ。
計画段階では、一人でも平気だと言ったのだが、KOKOさんが「誘拐されて外国に売り飛ばされる」と脅すのでガイドを付けることにしたのだった。(矢印の先がエル・クルン。この頂上を目指す)
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ハマダにこのルートのことを伝えたら、彼は「ぜ~んぜん問題ない」と涼しい顔をしていた。ドクトーラとトシオさん、Kさんは山には登らず、麓の遺跡を見つつ王妃の谷で落ち合うことにした。
ハマダは「ヤッラ・ビーナ(さあ、行こう)」と言う。彼が何も持っていないのを見て「水は持たなくていいの?」と聞いたが、いらない、いらないと言う。
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歩いて歩いて、休むことなくいっきに山の上まで昇りつめた。
「ちょっと休憩しよう。ちょっとだけ」とハマダ。疲れたか?と聞くと、疲れていないという。

谷の上にも労働者の住居跡が残っていた。
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道があるような、ないような、荒れ地が目の前に広がっている。
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ハマダはどのコースを行くか「イージーな方?ディフィカルトな方?」と尋ねるので、「ディフィカルトな方でお願いします。」と答える。
人が通った痕跡がない場所を歩く。場所によっては一歩間違えれば、谷底だ。ゆっくりゆっくり歩を進めるが、どういうわけかエル・クルンから離れていく。「待って、待って、エル・クルンに行きたいんだよ。」と言うと、ハマダは「OK」と答えるが、笑顔がちょっとひきつらなかったかい?エル・クルンに行かずに直接王妃の谷に行こうとしていたらしい。
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「3分休憩」と言うので、持っていたジュースをあげると、彼はひと息で飲み干していた。道なき道を引き返し、監視小屋に到達した。山頂が見えてくる。
ハマダには「ここで待っていてもいいよ」と言うと、「うん」と素直に返事をした。足元に気を付けながら、最後は手をついてよじ登っていくと、ついに山頂に到達した。
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2年前にも登ろうとしてあきらめていたコースだっただけに喜びも大きい。だが、自分にとっては登山が目的なのではない。
エル・クルンは王家の谷の背後にそびえたつが、実際は標高450メートル足らずの岩山で、見ようによってはピラミッドに見えないこともない。古代においては「デヘネト」と呼ばれ、ハトホル女神の、そしてメレトセゲル女神の聖地とされた。
以前、山頂に石を積んだだけの50センチほどの小さな祠がたくさん作られていた映像を見たことがあった。 それを確認することが今回の目的の一つだったが、山頂を歩いて周囲を見回してもそのような遺構は見当たらなかった。記憶違いなのだろうか。監視小屋で聞いてみても分からなかった。また、調べて再チャレンジしろとでも言っているみたいだ。次はKOKOさんを誘ってみよう。
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さあ、降りようとハマダに声をかける。下りは登りよりも幾分楽だが、ハマダの歩き方がだいぶぎこちなくなっている。やっとのことで王妃の谷に到着。
疲れたでしょう?とハマダに聞くと「平気、平気」と答えつつ、ベンチでぐったり。
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ぼんやりしていると大型バスが着いて、日本人観光客がぞろぞろと降りてきた。目的はQV66、ネフェルトイリの墓らしい。ネフェルトイリの墓は現在閉鎖しているが、料金次第で入場することができるという。イアルの野原も金次第?。頭割りしているだろうから大勢なら入れるのだろうなあ。後ろについて行ってしまおうかなあ。

ドクトーラたちはまだ王妃の谷に来てはいないようだ。一足先に公開している墓を見ていこう。まずラメセス4世の母と思われるQV52ティティの墓。ラメセス3世の王子QV55アメンヘルケプシェフ、同じくQV44カアエムワセトの墓を訪れた。どれも王が王子と対面しつつ冥界に案内されるという宗教的なシーンが多い。
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ドクトーラたちが到着して途中から合流するが、どうもハマダの歩き方がおかしい。靴下を脱がせると、やはり靴擦れを起こしていた。トシオさんがバンドエイドを出してハマダの傷口に貼っていた。日本人は優しいなあ。

次はシェイク・アブデル・クルナに移動、高官の墓を見学することにした。ドクトーラとトシオさんはナクトとメンナの墓に入っていたが、自分は少し休んでラモーゼの墓だけに訪れた。強がっているが、やはり、結構疲れている。
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本日はマルカタの南にあるホテルに泊まる。葬祭殿や墓からは遠いのでどうしようかと迷ったが、高級ホテル大好きのKさんが薦めてくれたのだった。「ムーディーラ」というこのホテルは最近日本の雑誌でも紹介され、どの写真を見ても雰囲気のある、旅好き女子の心をくすぐる素敵なホテルだ。Kさんは以前、取材の仕事で訪れているという。
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中世アラブの邸宅風の正面玄関。扉や窓、テーブルにはアラベスク模様、格子飾りが使われている。アーチの連なる回廊、噴水のある中庭、天井の高いイーワーン。すべてが魅了されるスタイルだ。
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部屋はどれも少しずつ違っている。天蓋のあるベッド、だだっ広いバスルームには巨大な浴槽がある。他人同士では泊まれない部屋だ。
自分は山登りで汗だくになっていたので、すぐに風呂に入ることにした。この巨大な浴槽にお湯を張るには時間がかかりそうだと思い蛇口をひねる。勢いよくお湯が出て、しばらくぼんやりしていて、はっと気が付く。まずい。給湯器の大きさを考えると、貯湯量こんなに多いはずがないと思って、蛇口に手を当てると、すでに水に近かったので慌てて止める。浴槽のタイル1枚分にも達していなかったが、浴槽の底に寝そべり、次のお湯を給湯器がわかしてくれるのを待ったのだった。

汗を流してさっぱりしたところで夕食だ。みんなドレスアップし、中庭に用意されたテーブルに集まる。エジプト産のワインで乾杯し、其々思い思いのメニューをオーダーする。誰もが満足そうで、疲れている様子もない。ただでさえ薄暗い中庭のオープンダイニングが更に暗くなった。歌声とともに大きなケーキが運ばれてきた。トシオさん60回目の誕生日だった。ケーキはダイニングにいた全員におすそ分けされ、全員で祝福する。そう、ここはまさに祝祭殿だ。
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今回のルクソールは、これから始めるメインの「砂漠」を盛り上げるためのオードブルだが、すでに飛ばしすぎになっている全員なのであった。

ルクソールでゴルフ & メンチュ神殿 The Sailors on the Great Sand Sea 3日目

Day3

تالت يوم

هو فرحان عشان في مصر

فعلا هو مش كلت كتير كل يوم في اليابان ، لكن هو ممكن يكل كتير في مصر

!مش معقول

 هو هيلعب جولف النهاردة

(كان يلعب جولف في القاهرة والجيزة زمان)

بعد ما جولف يروح  معبد الكارنك و معبد مونتو برضو

 早寝早起きの健康的な生活。すがすがしい気分で朝を迎え、食欲も普段よりずっとわいてくる。一人で朝食を取っていたら、Kさんがやってきた。彼女はアビュドスとデンデラに出かける。ドクトーラとトシオさんは午前中ゆったりとオールドウィンターパレスのナイルを望む部屋で過ごすという。
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自分はゴルフに行くつもり。
エジプトでゴルフというと驚かれるが、エジプトは各地にゴルフ場があり、ルクソールにもある。
ルクソール神殿の裏手でタクシーを拾い、ゴルフ場に連れて行ってほしいと頼む。
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ドライバーはゴルフと言われ、きょとん。
もしかして、ゴルフを知らないか?こうやって小さなボールを、こういうので打つやつ・・と説明していると、途中で叫ぶ「ああ!ジョルフね!」(ルクソールの人々はgがjになる)

車はルクソール空港を過ぎ、コプトの町シャエフを過ぎると、長いフェンスで仕切られたジョルフ場が現れた。その名は「ロイヤルバレー・ゴルフクラブ」 ルクソールらしい名前だ。コース内の瑞々しい緑と、コース外の荒い土地とのギャップがすごい。クラブハウスはこぢんまりしているが、インテリアは豪華だ。
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オープンしているの?プレーはできるの?と聞くと、すぐにできるという。それはそうだ。閑散としている。カート代、レンタルクラブ代、プレー費は前払い。練習をしたい人のためにドライビングレンジがあるが、それは別払いだという。
カートにクラブを載せ、1H目に向かう。ティーグランドは後ろからツタンカーメン、ラメセス2世、スフィンクス、ネフェルトイティのティーマーク。
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一打目はひっかけて、ボールがどこかに行ってしまう。ファラオの呪いだ。無かったことにし、さて本番。
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各ホールはコース・メンテの職人によりよく手入れされている。天水があてにならないこの環境で維持していくのは大変なことだろう。努力は認めたいが、フェアウェイでショットする度、ぺろ~んと表面がめくれてしまう。どうも芝が根付かないようだ。グリーンも水分が含みすぎで、ボールが埋没してしまうほどぶよんぶよんしている。
11月で今頃のルクソールはゴルフに最適なシーズンであるはずなのに、プレイヤーは自分ひとり。ゴルフ場独り占めなんて、なかなか味わえるもんじゃない。
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途中、おしぼりやドリンクの差し入れを運んできてくれたオヤジはOUTが終わりにさしかかる頃から、ずっとついてくるようになった。
はじめはプレーを見ているだけだったが、そのうちミスショットをすると「もう少し右を向いた方がよい」バンカーでミスをすれば「チカラぬいちゃダメ」とアドバイスをしてくれるようになった。確かに言っていることは間違っていない。気を付けて打ち直せば「グッドショット」と褒めてくれる。
もしかしたら、レッスンプロ?エジプト人のプロゴルファー?ならば、とても貴重ではないか?
一人のプレーも寂しいので「一緒にやる?」と促した。残り100ヤード。その彼が取り出したクラブは・・・ドライバー。
ただの頭の禿げかかった腹のたるんだオヤジであった。そして最後にチップを要求されたが、この彼のおかげで楽しい時間を過ごせた・・ということにしよう。

午後はカルナック神殿に向かった。カルナック一帯は市街同様整備され、来るたびに大きく姿を変えていた。そして来る度に値上がりしている入場料。カルナックの入場料はすべてユネスコに送られ、その見返りにユネスコが遺跡の修復、維持、保存を行っているそうだ。第一塔門あたりから人の多さに圧倒される。第一中庭を左に折れて、トイレみたいな建物のある野外博物館へ。前回来た時には復元中だったトトメス4世の神殿が完成していた。詰石として再利用されていたブロックを組み戻した祠堂もある。

第三塔門の石材として使われていたアメンヘテプ4世の門
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センウセレト1世の白い祠堂
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儀式用の軟膏収納部屋への入口 (中王国時代)
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トトメス4世の祠堂
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トトメス4世の神殿
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アメンヘテプ1世の祠堂
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再び第一中庭に戻り、ブバスティス門をくぐりカルナックの南北軸へと移動する。トトメス3世とハトシェプストの第八塔門へ。
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正面の巨大な坐像を見た後は、ホルエムへブがアテン神殿の石材を流用して建てた第九、第十塔門が見える。
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その中間にあるアメンヘテプ2世のセド祭用の神殿へ。
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誰にも止められることもなく、ちょっかいも出されずに、気ままに歩き回れる心地よさ。コンス神殿を通ってカルナックを出て、待ち合わせ場所に向かう。

ナイル河岸通りでぼんやりしていると、タクシーに乗ったドクトーラとトシオさんが現れた。目指す先は、昨日の続きのメンチュ神殿である。
アメン大神殿の北側周壁外に神域を持つメンチュ神殿。昨日暗くて見えなかったところも、隅々まで見渡せる。神殿へいざなうスフィンクス参道も土に埋もれ、プトレマイオス3世と4世の建てた門、通称「バアブ・エル・アブド」は、午後の光と影がレリーフを際立たせている。この門は閉ざされているが、崩れ落ちた周壁を乗り越えることができる。
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少し高いところから神殿を見渡す。本殿以外にも、マアト神殿、ハルプラー神殿もあったというが、今は判別がしにくい。
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奥まったところにある小屋には、メンチュ神殿域内から見つかったというトトメス3世の立像が隠すようにして置かれていた。
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二度トライして、二度とも入れなかったメンチュ神殿に到達し、満足感に浸りつつ帰りのタクシーに乗った。

帰り道は東回り。アメン神殿の裏側を走っている時、この辺りにアクエンアテンの破壊されたアテン神殿があったと思われる場所にさしかかる。タクシーを止めて撮影。フェンスに囲まれてはいたが、よく見ると門が開いていた。ドクトーラと二人、「入ってもよし」と解釈。そうとなれば目的に向かってまっしぐらだ。と、遅れて誰かがついてくる。ポリスだった。
「立ち入り禁止だ」と叫ぶポリスに「そうなんだあ!」と知らなかったような無邪気な返事をする我々。確信犯なんだけどね。引き返してみると、門の真ん中にポリスの詰め所があるではないか。一部始終を見ていたポリスたちは笑っていたようだ。そしてその一部始終をみていたトシオさんは、我々二人の行動にただただ呆れていた。

帰りは日も落ちて涼しくなってきたので、カルナックからナイル河畔をホテルまで歩こうということになった。途中、メルキュールホテルで夕食を取り、アビュドス・デンデラ詣りをしたKさんと合流。ビールとジュースでお互いの労をねぎらった。

ニューウィンターパレスまではもう少し、というところでルクソール神殿が我々を誘惑してきた。で、気が付くといつの間にかオベリスクの前に立っていた。もうこの時間になると見学者もまばらなので、各自ちらばり歩いていた。
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至聖所のあたりでKさんと遭遇。すると突然照明が落ちて、暗闇に落とされた。停電か?と思ったが、神殿クローズのお知らせだった。強引だが、効き目抜群の閉場サイン。ドクトーラとトシオさんと出会わぬまま、ホテルに戻った。

部屋に戻ったが、心がざわめいてじっとしていられない。部屋を出て、以前リモンに教わった茶店に向かうも、跡形もなかった。もう1軒記憶を頼りになじみの茶店を見つけようとしたが、そこも立ち退いていてがらんどうだった。仕方がない、いつも寄っていたTシャツ屋を冷やかしに行こうと向かったが、場所も店の雰囲気も従業員もすっかり変わっていた。自分の知っているルクソールがだんだんと確実に、しかし間違いなく「過去の思い出」となっているのを感じた夜だった。

ルクソール、コプト教会へ The Sailors on the Great Sand Sea 2日目

Day 2nd

تاني يوم

هيروح الاقصر

و قبلت صاحبه اسمه ريمون

هم زارو كنيسة في الاقصر بسيارة، العربية دي بتاعه

بعد خلصت

هم يروحوا البيت ريمون عشان ماماه  مستنية في البيت

فيه الاكل المصر كتير على الطرابيزة

بعد الاكل هم تزارو المعبد تاني

定宿のフラメンコホテルで4時半に目を覚ます。今日はルクソールに向かう。
フラメンコホテルはアザーンが大音量で鳴り響く。いつまでも眠らせてくれないホテルだ。

ブレックファストボックスを手に、まだ眠っているカイロの町を通り過ぎて、空港に向かう。空港は早朝だというのに大混雑、一つの待合室に3便分の乗客が詰め込まれていた。ブレックファストボックスは邪魔なので、食べてしまおう。何が入っているのかわからない箱をあけるのだが、まったくときめかない。そして「やっぱりな」というものが隙間を埋めていた。
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ルクソールではアシュラフが待っていてくれた。彼はルクソールの聖人のエル・ハッジャージの子孫だという。温暖なルクソールの風景を車窓から眺めていると、ブーゲンビリアや夾竹桃の赤が心をほぐしてくれるのが感じられる。

宿泊先のニューウィンターパレスへ。ニューウィンターパレスの本館は現在閉鎖され、上部を解体し始めていた。ならばお隣のオールドウィンターパレスに泊まりたいところだが、今回は庭向こうにあるパビリオンに泊まる。
一足先にエジプトに到着し、アブシンベルクルーズ乗船後にルクソール入りをしていた村治夫妻(以降、ドクトーラとトシオさん)と合流する。夫妻は大人の贅沢、オールドウィンターに宿泊だった。二人ともすでにいい感じに日焼けをしていた。

ルクソールには旧友のリモンがいる。電話をすると早速会いに来てくれた。
リモンは会うたびに、確実にメタボ街道まっしぐらだが、元気でいてくれるのが一番だ。みんなも揃ったところで、彼の車でかつてのデートコースを案内してくれるという。
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まず近くにあるヴァージン教会にて心を落ち着かせる。聖母マリアに捧げられた教会で、とても近代的な建物。教会の扉を開けるとその向こうで聖母が出迎えてくれる。リモンの懐かしい日本語をBGMに、始まったばかりの旅の安全を祈願する。
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続いて別の教会へ。そこは建設工事真っ最中、完成すればルクソールで最大のコプト教会になるという。足場やコンクリートがむき出しだったが、リモンによれば、建設の申請を出してから認可が下りるまで20年かかったという。イスラームが圧倒的多数のこの国で、コプトにとっての不都合や不条理は、数えればきりがないのだろう。
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工事現場の中に入るのは申し訳ない気持ちもしたが、案内された扉の向こう側には礼拝室がほぼ完成していた。ここはいくつかの教会が隣り合う、教会複合体になってゆくそうで、総称が大天使ミハエル教会と呼ばれている。ここでも旅の無事を祈っておこう。と言っても仏教徒なんだけど。
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お腹がすいた。いつのまにかランチの時間をとうに過ぎている。
リモンのお母さんがごちそうを作って待っていてくれるという。いつもご馳走になってばかりだ。リモンのママのフラットはコプトが多く住んでいるからか、階段の壁の共同部分にも聖ジョージのイコンが飾られている。
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しばらく待っていると、テーブルにグリルしたチキン、オクラの煮込みやコフタのフライ、そしてモロヘイヤなどが並べられた。どれもおいしい。それはそのはず、リモンのママは料理の先生なのだ。リモンの腹肉も立派に育つわけだ。
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お腹が満たされ、腰が重たくなってしまったが、実はリモンには本日もう一つお願いがあった。それは、カルナックのメンチュ神殿だ。
地図にはあるのだが、どこから入ればよいのか分からず、これまで二度トライしたがその都度阻まれていた。今回は航空写真と地図を頼りに、リモンに言われるままに前進し、メンチュ神殿の北側に近づいた。ここが神殿の正面になる。本来は高い塀で囲まれていたようだが、1か所崩れたのか、壊したのか、その中で暮らしているらしき人がいるではないか。勿論彼らも不法占拠だろうが、こちらも不法侵入で、そこから中に入れそう。
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夕焼けに染まる石灰岩が、時間がないと教えてくれるが、ともかく一歩ずつメンチュ神殿に近づいている。誰にも声もかけられず、制止されず、我々はメンチュ神殿に到達することができた。
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目的が一つ達成だ。周囲はどんどん暗くなってきていたので、今日はここまで。また明日。

カイロへ  The Sailors on the Great Sand Sea  1日目 

انت عارف ، كين تاناكا كان زار مصر كتير

انا اقولك الحكاية ٢٠٠٨

هو كان في القاهرة و اللاقصر و الصحراء مع اصحاب

The Sailors on the Great Sand Sea と タイトルの書かれたファイルが手元にある。
われらが愛する謙ちゃんの砂漠の旅の記録だ。
彼の足跡をたどり、その目が見た風景を思い浮かべる。 

Day 1st  

اول يوم كان بيروح المطار

بعد خلصت المشكلة، هو وصلت المطار و قابلت ياسوكو و بعدين سيبت المصر

2008年のエジプトの旅はナイルストーリーのKさんによって進められていた。
自分が行きたいのはまず、スーダンのエジプト関連遺跡、そしてエジプト西砂漠「偉大なる海」と名付けられた砂漠とギルフ・ケビールだ。

2本立てとなれば日にちも費用もかかるだろう。実現できるかどうか不安がよぎるが、ともかく資料集めをしてみる。そもそもスーダン、ヌビア、クシュに関する資料は非常に少ない。ましてNative Japanese Speaker の自分に手が届く本は限られている。
それでもなんとかまとまりそうだと一安心しつつあった5月半ば、スーダンのオンドウルマンにて政府軍と反政府軍の衝突という事件が起こる。この町はかつて民族団結を訴え、イギリスに戦いを挑んだスーダンの英雄、マフディーの拠点となった場所だ・・・と、これは予習の成果なのだが、残念ながらこのためにスーダン旅行は棚上げにならざるを得なくなった。

がっかりしている暇はない。自分にはもう一つの目的、ギルフ・ケビールがある。そこはまさに最果ての地。エジプトの南西の端っこ。まっすぐな国境線が交差するリビアとスーダンの国境沿いだ。人なんか住んでいない岩山があるだけ。わざわざここまで来て争って何になる、という場所だ。事件など起きるはずもない。

「スーダンはまた今度、マーレーシュ(仕方がない)」と自分に言い聞かせる。

旅を共にしてくれるメンバーたちと顔合わせをした9月。何気なくYahooニュースを見ていると「ギルフ・ケビール」の文字が目に飛び込んできた。そもそもギルフ・ケビールなんて正直言えばこの旅のプランニングで初めて聞いた地名なのに・・・いやな予感がしつつ、クリックすると「外国人観光客誘拐」の文字。詳しく知るのもイヤで「戻る」をクリック。嘘だろ、こんな場所でこんな時に。で自分は「これは夢だ」と思うことにした。

しかし、どうやらナイルストーリーのKさんも他のメンバーも同じ夢を見たらしく、旅の仲間は一斉に減っていった。
Kさんは「あえて危険を冒さず、しかし、砂漠を満喫できるコースを考える」と言うが、この旅自体が消滅してしまうのではなかろうか。

そしてKさんが砂漠のエキスパートであるミハルさんとじっくり相談し、出来上がった行程は砂漠キャンプとオアシスへの旅だった。紆余曲折はあったものの残ったメンバーは結局本当に砂漠に行きたい人々が残った、とも言えよう。自分にとっては南の遺跡とクルーズを含めた22日間の旅となる。

出発前夜はなかなか眠れなかった。エジプトへの旅は10回を超えるのに、頭と体が興奮して体内から何かが分泌されているのだろうか。
出発しようとすると、毎度家族が「いつ帰ってくるんだ」と尋ねる(まあ、当たり前なのだけど)その都度「3年後くらいかな」とこれもいつもの返事。駅まで甥っ子が見送ってくれた。
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いつも通りの時間のいつもの電車に乗るはずが、なぜか各駅停車になっている。新宿駅の工事の関係だそうだ。これでは成田エキスプレスに間に合わない可能性が大である。
電車の中で少しでも早く到着する方法を調べたが、東京駅に到着した時にはすでに成田エキスプレスは去った後だった。空港到着も遅れるとKさんに連絡する。

なにかこの旅は出発する前にいろいろありすぎ。この先もまだまだ波乱がありそうな予感がする。

空港にようやく到着をして、出発ロビーに上がると、エジプト航空のカウンターの前で待ちぼうけを食らわされていたKさんを発見。搭乗手続きをする乗客は残りわずかとなっていた。
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エジプト航空のクレオパトラ・エキスプレスは定刻通りにテイク・オフ。
窓には雨粒がしがみつき、飛行機は分厚い雲に潜り込んだ。空は淀んだ鉛色。そして高度7500mを超えると、太陽神ラーが姿を現した。ここまでの不安がいっぺんに吹き飛んだ。
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ソウル上空にさしかかる頃、最初の機内食が運ばれてきた。座席はエコノミークラスの最前列。足は伸ばせるのだがトイレのすぐ前なので、なんとなくせわしなくなるポジション。トイレの渋滞が途切れないのは、どうやら6つあるトイレのうちの2つが故障したかららしい。到着間際になるころには3つ目も故障。ついに行列が途切れることはなかった。
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カイロの明かりが見えてくると、いつものように「ギザのピラミッドが右手に見えます。」というアナウンスが流れるが、暗くて何も見えないままに、エジプトの地面に到着をした。
カイロ空港で待っていたのは、なじみのメンバーではなく、マフムードという青年だった。ハーリドは?と聞くと、彼のお母さんが亡くなったのだという。

ハーリドと知り合ってからは何度も彼の家に招待され、その度に心のこもったごちそうをいただいたものだったが、そばにはいつも笑顔のお母さんがいた。かなり落ち込んでいるはずだ。
車窓から見える賑やかなカイロだが、今夜はしんみりして見えた。

ナイルアカシア、今年も咲く。

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ルクソールからやってきたナイルアカシアとギンネムが今年も花を咲かせた。
大木になる日は来るのだろうか?まだ風に揺られてヘロヘロしている。
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デーツ(食べて、種を植木鉢にぷっと飛ばした)も元気。
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エジプトのアンモナイト その4

西砂漠、ダクラオアシスの近くの「アンモナイト・ヒル」
(エジプトでアンモナイトが見つかるのが、ここだけ、ということではないです)
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エジプトのアンモナイト その3

これらのアンモナイトはダクラオアシスに近い、「アンモナイト・ヒル」と呼ばれる場所からやってきたもの。
後期白亜紀(およそ1億年くらい前)
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アンモナイト・ヒルの地質は石灰質の多い泥岩、砂岩、粘土などで(だからかつては海だったので)構成され、アンモナイトのほかにエキソギラという絶滅した牡蠣の仲間の二枚貝とか、タスバッカという絶滅した亀、首の長い恐竜も見つかっているそうだ。
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アンモナイト・ヒルという呼び名は外人が名付けたのだろうが、エジプト人はこの場所を何と呼んでいるのだろう。そしてエジプトの神から派生したアンモナイトは、エジプトでは何と呼ばれているのだろう。
聞いてみた。
アンモナイトのアラビア語はامونيت 
なあんだ「アンモナイト」だった。ちょっとがっかり。輸入された言葉だからそのままアラビア語で書いたらしい。
それにしても菊石とかかぼちゃ石とか、そういうおちゃめな古代名はなかったのかなあ。
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そして アンモナイト・ヒルは ヒルがテル(テル・エル・アマルナのテル)だから
تـِلّ الأمونيت
テル・エル・アンモナイト?かな? 名前に関しては、あんまりおもしろくない。
古代エジプトでは大雑把に「デシュレト(赤い土地)」と呼ばれたそうだが、かつて豊かな水があり、キリンもダチョウもヒトもいた西砂漠。過去にはきっと素敵な地名があったに違いない。

アンモナイトが化石として残っているのは固い殻の部分で、中の柔らかな部分は残っていない(か、残りにくい?)ため、どんな風に生息していたかはっきりはわかっていない。アンモナイトの生前のお姿を描いた絵は、恐竜同様に科学的な証拠をもとにした想像図ということだ。
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バハレイヤ・オアシスのホットスプリングホテルを経営するみはるさんが話してくださったのだが、エジプトのアンモナイトが茶色っぽいのはエジプトの砂漠や鉱物の色になってしまうからなんだって。

そう聞いたときはびっくりしたのだけど、それは置換という働きで、本来の生物の骨や組織、殻などがそこにある鉱物に置き換わってしまうことで、そういう化石を「置換化石」という。つまり、生物が地層に埋もれてしまうと本体が溶けて失われ、その空間に地下水に含まれる炭酸カルシウムとかシリカとかが周りの鉱物が溜まっていって本体と置き換わってしまうのだって。
アンモナイトの殻が長い年月をかけて石に変質したのかと私は思っていたよ!私ってバカ?
そうではなくて、周囲の石が置き換わっていくのだって。(生体、骨とか歯とか、硬組織そのものが保存されて化石になる場合もある。化石の成り立ちはいろいろ)

中央は便宜上「へそ」と呼ばれているそうだ。殻の巻きがきついと「へそがない」とか「へそがせまい」とか、巻きがゆるいと「へそが広い」とか言う。

この写真で、波が正確にうねっているような模様は「縫合線」と呼ばれる。
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アンモナイトが成長していくと、殻の内側に固定されている体後部に新しい隔壁ができる。殻はそれぞれの隔壁の接合部の褶曲(曲がりくねるような変化)により強化され、縫合線となり、増えていく。そしてこの縫合線は殻の内側の変化なので、当のご本人のアンモナイト様が生きて海を泳いでいる時には見ることはできない。知らなかった!知らないことばかり。一つ知ると、その向こうに未知の無知のトビラが限りなく続いて、知らないことの多さに打ちのめされる。

(アンモナイトはすべて謙ちゃんのものです。ありがとう。)

「日本のアンモナイト」築地書館
「化石ハンター」PHP
「化石図鑑」誠文堂新光社
「生物の進化大図鑑」河出書房新社
「アンモナイトを探しに行こう」福音館

エジプトのアンモナイト その2

アンモナイトは大きなカタツムリでもイカ・タコでもなく、オウムガイに分類される。
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殻は螺旋構造を持ち、螺旋には仕切り(隔壁)があり、その小部屋のような空間はだんだん小さくなって最深部まで続く。また、小部屋と小部屋は細い管でつながっていて、そこに体液を溜めるか排出するかして、浮いて獲物を頭上から攻撃し、狩りをすることができたという。
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丈夫な殻をつけて狩りをするアンモナイトは、およそ
4億年前には35000種類にも増え大繁殖をしていた。
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アンモナイトの名は古代エジプトの太陽神アメン(Ammonアンモン)からきている。
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アメンの化身はぐるっと巻いた角を持つ羊で、その角が化石になったと思われた、または 角の形と似ているからその名がついたそうだ。
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アメン神はギリシア、ローマ世界でも気に入られ、
アレクサンダー大王もアメンの角を付けた姿でコインに描かれている。
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1世紀の博物学者プリニウスも「アンモンの角」と呼んでいる。
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Ammon に岩石・鉱物を意味する語尾 ite をつけて、アンモナイトと命名したのはフランス 博物学者Jean-Guillaume Bruguièreで、1792年。この人はフランス革命の真っただ中に、植物・昆虫・貝類・軟体動物・化石などを収集研究している。南インド洋周辺、ギリシア、トルコ、イラク、エジプト、イランあたりも訪れている。

ナポレオン率いる遠征軍が かの有名な「学術隊」を伴ってエジプトに向かうため、南フランス、ツーロンから出港したのは1798年。Bruguièreはその1年後、採集の旅の途上で亡くなっている。華々しく集められた頭脳集団に・・・同行したかったのではなかろうか。

エジプトのアンモナイト その1

目下私は小さなアンモナイト・ブームの真っただ中にいる。「アンモナイトを探しに行こう」という本を読んだのがきっかけなのだが、何よりも、今 私の部屋のあちこちにアンモナイトがある(いる)からでもある。それらはすべてエジプトから来たものだ。友人の謙ちゃんがあつめた化石をそっくりそのままお預かりしている。
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アンモナイトは古生代のシルル紀(約4億2千万年前くらい)から中生代のジュラ紀(約2億年前)または後期白亜紀(約1億年前)まで、ざっと3億年の長きにわたり海の中で暮らしていた軟体生物で、人間の歴史よりもはるかに長い。

アンモナイトは広義で「アンモノイド類」と呼ばれている。
一番古い古生代ではゴニアタイト型アンモノイド類、中生代三畳紀ではセラタイト型アンモノイド類、中世期のジュラ紀・白亜紀ではアンモナイト型アンモノイド類と分けられて、ちょっぴり違っている。で、大繁殖していたが、白亜紀に恐竜とともに絶滅した。絶滅した理由は、大きな隕石が地球に衝突し、一時的に太陽光をさえぎったことで寒冷化したからとか言われるが、よくわかっていない。
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マンチェスター博物館のHPによると、スコットランドでアンモナイトは「けいれん石」と呼ばれ、アンモナイトを浸した水を飲むと牛のけいれんが治るとか、ヨークシャーでは聖人によって石に姿を変えられた蛇だとされ、牛乳を溜める缶に浸すと、牛の乳の出が良くなるとか信じられ、ドイツでは「竜の石」と呼ばれ、北アメリカではバッファロー石(が、眠っている姿に似ているから)。ネパールではヴィシュヌ神の持っている円盤に似ていることから、その力の象徴の一つとされた。

ネパールでは死にかけの人に飲ませると・・・生き返るのか?と思ったら、死んだらヴィシュヌの家に行けると信じられたのだそうだ。しかし、なんか、分かる!浸しておいたらなんかの汁が出そうな風体である。

日本では「菊石」「菊面石」(菊花石とは違う)あるいは「かぼちゃ石」と呼ばれていたそうで、菊石はその形からで、かぼちゃ石は地層から飛び出してそこらに転がっていたからだという。
かぼちゃ並みにアンモナイトがあるとは知らなかったのだが、実は日本は250種類もが確認されており、アンモナイトの宝庫なのだそうだ。
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どうしてそんなにアンモナイトが見つかるかというと、理由は本にはこう書かれていた。
日本列島の表面は比較的新しい地質時代に該当する新生代第三期から第四期に噴出した火成岩とその堆積物でおおわれている。それらを取り除くとその下は2億5000万年以上前の、古生代ペルム紀末から中生代ジュラ紀、白亜紀にかけて、海溝に堆積した地層が土台となっていて、その時代こそがアンモナイトが全盛を極めていた時代であり場所である、というのだ。
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(写真はすべて エジプトのアンモナイト)

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